奥駈道8『持経宿~行仙宿』(怒田宿)
おかんの背中のザックは今回デビューのデイパックです。
THE NORTH FACE(ザ・ノースフェイス) RECON容量30Lでデイパックにしたら大きめですが、大き目のフロントメッシュポケット等、出したり入れたりしなくても使えるところが便利でしたよ。
急な下りで且つ、落ち葉で滑りやすい上に、木の根っこが張り廻っていますので
大変歩きにくいです。
内緒ですが、我が家はこの辺りで全員尻餅を突いていました^^;
姫なんか、おかんに介護してもらってるのに何度も・・・
それを見てやさしいショウタンさんは
「尻餅ついている間は大丈夫^^;」と優しく声をかけてくれてました。
なるほど、前からこけたら大変だと、おやじも自分に戒めながら・・・
「ぎゃ~」と前や後で聞こえています・・・
ご飯を食べてお日様が傾きかけた丁度今時分から
危険な時間です。
気を引き締めて頑張りましょう!!
『懺悔・懺悔 六根清浄・六根清浄・・・』
時折、行者さんの法螺の音色に勇気付けられ
登りも弱音を吐かずに・・・
実は、この日のあゆむとゆうとは
最年少と言う事で、皆さん優しくして戴けますので
少し、甘ちゃんでした^^;
怒田宿の手前から、台高山地方面を見ています。
14:10「怒田宿跡」に到着しました。
倶利迦羅岳から1時間強頑張りましたが、結構疲れました^^;
【 怒田宿跡(ぬたのしゅくあと) 】
ぬたのしゅくと読みます。
水場は10分ほど下ったところにあるようです。
テン場適地です。
第20番の靡(なびき)です。
明治時代前半、修験道廃止令の時代に苦難の人生を送った「林実利」がこの地に小屋を建てた。
修験道の復興とその修行場としての南奥駈道の再興を願って活動していた。
『林実利(はやし じつかが)』
岐阜の坂下うまれの修験者。最初地元の御嶽山で修行していた。
後に奈良の大峯山で千日行を2回、大台ケ原の抖擻、那智の滝行など通産16年に及ぶ荒行の挙句に
最後、明治17年に那智の滝頂から捨身入定した。
理由は、廃仏毀釈という明治政府の社会背景に対する抗議を身を以って示したのだろう・・・
実利(じつかが)行者と呼ばれ、行仙小屋に役行者と並んで祀られています。
では、勤行を行います。
いくら疲れたといっても・・・
ごめんなさい。
姫とゆうとは最前列で座って勤行に参加です。
手を合わしてますのでご勘弁を・・・
ゆうとが撮影した動画です。
ほら貝の音色をお聞き下さい。
14:20「怒田宿跡」を後にして
残す所、最後の最後の最後の急登が待っています。
次回に続きます^^;
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